この小さな街の短いメインストリートには、たくさんの荷物を抱えた賑やかな家族連れや、プレゼントを選ぶ楽しげな恋人たちで溢れている。並ぶ店のショウウインドウは華やかなネオンで飾られている。じきにクリスマスを祝う音楽が町中にあふれるのだろう。
街の広場には、樅の木がおかれ、飾りつけられるのを待っている。その足元には、赤と緑のコントラストが鮮やかなポインセチアと雪のような白い花弁のシクラメン。小さな莟をつけたクリスマスローズ。
この時期に独りで買い物にでたことを、は微かに後悔を憶えた。
ひとりで平気だと思っていた。なのにいざ街に出てみれば、異邦人であるだけでない疎外感があった。
そんな風に感じる原因を自分でも自覚しているだけに、気分は落ち込みそうになる。
ひとつ首を振って後悔を追い出すと、はショウウインドウのひとつに足を止め覗き込んだ。
冬がくる前に、暖かいマフラーと手袋が欲しい。そう思っていた。
の目を引いたのは、ツリーに飾るための、天使やサンタクロースのオーナメント。かわいらしい形に整えられたろうそく。聖母子や聖人の姿を映した美しいイコン。降れば聖堂の屋根に雪が舞い踊るスノウドーム。柊や木の実を飾りつけ、リボンを結んだリース。暖炉にくべる薪の形をしたケーキ。それから、家族や親しい友人達へ送るためのグリーティングカード。
は一枚いちまい手にとって、選び始めた。一人ひとりの顔と声を思い浮かべて。
だめだ今日は。ひとりで買い物になんか出なければ良かった。帰ろう。
聞きなれた呼び声に驚いて振り返れば、背の高い人がにこやかな笑みを浮かべて立っていた。まさかこんな所で会えると思っていなかったは驚いて、数瞬ののちに慌てて挨拶をした。
「そうか」アイオロスは頷くと、の手元をひょいと覗き込んだ。枚数の多さに驚く。
「うん。みんなに贈ろうと思って」アイオロスは破顔すると大きな手での頭を撫でた。
「もう済んだんだ。帰る所だった。そしたらを見かけたから」
「本当?じゃあ、思いっきり甘えようかな。終ったら、コーヒーでも夕食でも、何でもご馳走する。それでいい?」
「いつもと変わらないね。何が食べたい?材料も買って帰らないと」
「じゃあ、次はどこに行きたい?」いたずらっぽくアイオロスは笑って云う。
「重くない?平気?」ポインセチアの鉢を抱えたアイオロスには気遣わしそうに見上げ声をかけた。アイオロスが持ってくれるというので予定よりも随分と大きいものを買った。
「いい。これくらい平気だ。これでも聖闘士なんだけどね」
「そう?聖闘士に荷物持ちなんかさせてるのは、わたしくらいなものだね」心外そうなアイオロスの口調と表情には笑い出す。
「そんなに甘やかしてはだめよ。増長したら困るから」
「え?顔」驚いて問い返したの額をアイオロスは指で突付いた。
「難しい顔してた。こんなの」そう云ってアイオロスは眉間に皺を寄せた顰め面をして見せる。その顔にまたは笑った。
彼の周囲は穏やかな暖かい気配に満ちている。傍らにいて、その気配を感じるだけで、ざわついていた気持ちが鎮まっていく。
上手く誤魔化されてくれないものかと、作り笑いを浮かべてアイオロスの顔を見上げると、真っ直ぐな瞳が見返してきた。
真実を見通すような瞳を見ることができずに、はすぐに視線を外して足元を見る。
「・・・ちょっとね。ちょっとだけホームシックみたい」
大きな掌でアイオロスはの頭を撫でた。微かに苦笑のような、笑みがこぼれた気配がした。
アイオロスが不意に声を上げた。ショウウインドウの一つに目を向けている。も釣られて目をやるとそこには、ピラミッド状にクッキーをつみあげたものがあった。一つは雪のように白い山。もう一つは茶色い山。
返事も待たずアイオロスは店へ入っていく。慌てても後を追った。
「おばあさん。グラビエデスとメロマカローナ、12個ずつ、包んでくれないか」
人の良さそうな白髪のおばあさんは丁寧に袋に詰めると、にっこりと笑ってに手渡した。「いいクリスマスをね。お嬢さん」
「クリスマスまで、毎日ひとつづつ食べるんだよ。これは、春の始まりへの祝福と、農作物の豊饒を祈念するものなんだ」穏やかな声に惹かれるようにはアイオロスを見上げた。見返してきたアイオロスは悪戯っぽい笑顔を浮かべている。
「そうか。24個食べたらクリスマスだ。そしたらその日は一緒に過ごそうな?」
は驚いたようにアイオロスを見て、やがて嬉しそうに頷いた。
「まったく、は何も言わないから、困る。何も云わずにひとりでぐるぐる考えるな。それほど俺は頼りないか?」
「そんなことない。ただ、聞けなかったの」多分、聖域では祝わないし。いていいのかもわからなかった。
何度も聞こうとした。でも口にすることができなかった。
突然の申し出に驚いたようにはアイオロスを見る。大きな手が差し伸べられた。少しの間躊躇って、その手には自分の手をそっと乗せた。
次の瞬間、身体が浮いた感じがした。身体を包む空気が変わった。どこかに運ばれる。はきつく目を瞑った。
恐る恐る目をあけると、アイオロスが笑っている。その向こうには夕焼けの始まった空が見えた。テレポーテーションで跳んだらしい。宙に浮いた足元の不確かさが怖くて、慌ててしがみつく。「大丈夫」もう一度アイオロスは繰り返した。
アイオロスが示したほうを見ると、12宮の遠く向こうにアテネ市街が見えた。夕刻を迎えつつある町に、ひとつ、またひとつと小さな明かりが灯っていく。その向こうには沈みゆく太陽を反射して金色に輝く海。柔らかな紺色に覆われつつある空。は感嘆の声を上げ、その景色に魅入った。
持っていることばを捜して、けれどれも足りない気がして、ようやくはそれだけを呟いた。
ふと隣に立つ人を見れば、風に柔らかな癖毛を揺らせながら、アイオロスはじっと街を見つめていた。眩しいのか、少し細められたその眼差しには人びとへの慈しみに満ちている。その横顔をはじっと見守った。自然と笑みが浮かぶ。
この国はずっと長い間、異民族に支配され、神殿も破壊された。彼らがようやく独立を勝ち取ったのは、第二次世界大戦が終ってからのことだ。けれど、それまでも、それ以後も人々の心から祈りが消えることはなかった。
ずいぶんと長い間に、俺たちと彼らの神は違ってしまったけれど、地上の平和を求め、人を愛する気持ちは同じだ。だから女神は、そんな人々を慈しみ、愛し、護られる。
それは誰も知らない戦いでもあるけれど。でもそれでもいい。それが人々を護ることに繋がるのならそれでいい。世界はこんなに綺麗なんだから」
ちょっと柄じゃないかな?アイオロスはを振り返って照れたように小さく笑った。
アイオロスの背に確かに翼を見た、とは思った。世界すべてを包み込むような大きな翼。.
瞬きするのも忘れたように見つめてくるにアイオロスは怪訝そうに問い掛けた。
聖域に来て良かったと思うし、ロスに会えて良かったと思うし。ロスを好きで良かったと思った。
が一人で出かけたと聞いた時は、どうしようかと思った。置いていかれたのかと思った」
アイオロスの翼に抱かれるような感覚には目を閉じた。
確かに彼は翼を持っているのだ。目には見えなくても彼の背に翼はあった。
「聖域ではクリスマスなんて祝わないのだと思っていた」ぽつり、とが呟く。
「するよ。昔はね、教皇に黙ってサガと二人で、まだ小さかった子ども達のためにやった。そりゃ、表立ってはしないけれど、聖域にはいろんな国から集まってきているから、その人たちの祝いや祀りがある。
ギリシアのクリスマスはね、大切な人や家族と静に過ごす日なんだよ」
そう云うアイオロスの顔をは見上げる。瞳を見合わせて笑いあった。
「また見よう?たくさんの景色を見て、たくさん話して、一緒に過ごそう?アイオロス」
笑顔では手を差し出す。その手をアイオロスは強く握った。そうして二人は丘を下っていった。
2002/11/26
2002/12/22 一部改稿
misoさまへ。
たくさんの感謝を込めて。
カラ・クリストウゲナ!
この手は必要な時に必ず差し伸べられる。だから大丈夫。